医療格差の解消をめざす遠隔診療
医療分野におけるビッグデータの活用は拡がりを見せていますが、政府は『未来投資戦略2017』でビッグデータやAI(人工知能)などを生かした「新しい健康・医療・介護システム」を確立することを閣議決定しました(平成29年6月9日)。この方針にはICT(情報通信技術)を生かした遠隔診療も組み込まれています。遠隔診療の狙い、様々な動き、その現状や問題点についてまとめました。
■医師の偏在と医師法第20条
いま、わが国ではすごいスピードで高齢化社会が形成されつつあり、今後は生活習慣病、老齢に伴う様々な疾患に悩まされる人が増加すると思われます。こうした一方、医療現場における医師不足が指摘され、このままでは行き届いた医療環境の維持が難しく、十分な医療の提供ができないのではないか、という声もあります。しかし、本当に医師の数は不足しているのでしょうか。
厚生労働省では2年ごとに「医師・歯科医師・薬剤師調査」を実施していますが、その一番新しい数字を見ると医師数は31万1205人です(平成28年12月現在)。しかもここ数年は毎年4000人ずつ増えています。もちろん将来的に医師不足が生じることは考えられますが、現時点で医師が足りないということはないと言えそうです。
問題となるのは医師の総数ではなく、地域的な偏在にあります。
医師の多くは医療施設が充実している都市部に集中しており、逆に地方部では医師不足が目立ちます。とくに過疎が進む山間へき地、離島など医療過疎と呼ばれる地域では深刻です。
このままでは都市と地方における医療の格差が拡大することになりますが、それを解消する手段のひとつとして注目されているのが遠隔診療です。
これは通信技術を用いて医師が患者を診療するもので、主に都市部の医療機関と地方の診療所などをオンラインで結ぶもので、医療過疎地域に住んでおられる患者の方々にとっては朗報といってよいでしょう。交通の不便な環境にある患者にとっては移動に伴う身体的あるいは経費面での負担軽減が期待されるからです。
しかしながら、いろいろな事情もあって遠隔診療が全面的に解禁されているというわけではありません。なぜか。そこでクローズアップされるのが医師法の第20条です。
いまから70年前の昭和23(1948)年に成立した同法の20条には、医師は自ら診察しないで治療をしたり、診断書や処方箋を書いたりしてはならないと定められています。つまり、医師と患者の対面によるものだけが診療(診察)であるとしているわけで、これが遠隔診療の普及を阻む壁となっていました。
■厚生労働省における見解の変化
ところが最近は遠隔診療に対する厚生労働省の考え方に微妙な変化が見られます。それを都道府県知事宛に出された「情報通信機器を用いた診療(いわゆる「遠隔診療」)について」という3度にわたる事務連絡(平成9年12月・同27年8月・同29年7月)を基に見てみましょう。
まず平成9年に発出された事務連絡では、基本的な考え方として「診療は医師と患者が直接対面して行われること」「遠隔診療は直接の対面診療を補完する手段」を挙げながらも、「対面診療に代替可能で患者について有用な情報が得られる場合は直ちに医師法第20条等に抵触しない」という見解を打ち出しています。また、離島やへき地など直接の対面診療が困難な患者に限って遠隔診療を行うべき、としました。
ついで平成27年の事務連絡では「疾病に対して一応の診断を下し得る程度のものであれば」という条件付きで遠隔診療は医師法第20条等に抵触しないと重ねて述べています。これに加えて平成9年の事務連絡で示した離島やへき地はあくまでも「例示」にすぎないと強調しました。つまり、直接の対面診療が困難な場合には離島やへき地以外でも遠隔診療を行っても差し支えはないとし、その範囲を限定的に捉えることはないと明言しました。
さらに昨年の事務連絡では、禁煙外来を対象としたものですが定期的な健康診断・健康診査が行われており、患者からの要請がある場合に限って医師の判断で対面診療を行わず遠隔診療だけで完結させることを認めました。
注目されるのは「当事者が医師および患者本人であると確認できること、直接の対面診療に代替し得る程度の患者の心身の状況に関する有用な情報が得られること」が条件となっていますが、テレビ電話や電子メール、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)なども利用可能であるとしたことです(いずれの場合も直ちに医師法第20条には抵触せず、としています)。
これらの矢継ぎ早とも思える感じで発出された事務連絡の背景には情報通信技術分野におけるプラットフォームの整備と充実、インターネット環境の急速な普及があると思われます。もちろん遠隔診療が全面的に解禁になったとは言い難いのですが、その方向へ向けた動きは加速しつつあるようです。
■さまざまな遠隔診療の展開
では現在、どのような遠隔診療が実際に運用され、患者側の便益に貢献しているのでしょうか? 以下にいくつかの事例をご紹介します。
【テレパソロジー(遠隔病理診断)】
通信ネットワークを利用して遠隔地の医師がリアルタイムで行う病理診断です。
病理診断は死亡した患者の体組織から死因を調べるほか、手術で摘出した組織や細胞から病気を診断して手術中における腫瘍の有無、悪性か良性かなどを判断するうえで欠かせません。この診断には極めて高度な専門性が求められますが、この分野での医師不足が目立つこともあり、そうした状況の改善をめざして運用されています。
【テレラジオロジー(遠隔放射線診断)】
X線やCT、MRIなどで撮影した画像を通信ネットワーク経由で別の医療施設に伝送し、遠隔地の医師が診断(読影)するシステムです。
がんや心疾患、脳血管疾患の早期発見にCTやMRIは不可欠で、それらの画像を診断する件数も増加していますが、それに携わる放射線科の専門医も不足していることから地方の病院だけでなく都市部の大学病院などでも活用されています。
このほか、テレビ会議を通じて遠隔地の専門医に医師や看護師、医療スタッフがアドバイスを求める「テレコンサルテーション(テレカンファレンス:遠隔相談)」、患者の健康状態を端末で測定した生体情報を保健士や医師へ転送し、そのデータを在宅医療に生かす「テレケア(在宅医療)」などがあります。
こうした多彩な遠隔診療の取り組みを通じてわかるのは、地域における医師の偏在というだけではなく、そこには当該分野における専門医の不足という事情があり、それが医療格差にも結びつき、新たな問題が浮かび上がってきていることです。
■医療系ビジネスの動きと遠隔診療への反対意見
厚生労働省の対応に連動する形で遠隔診療をビジネスに組み込む企業も増えてきました。
医療情報関連のスタートアップ企業である株式会社エクスメディオ(高知市)では、異分野の医師同士がネット上で情報交換できる臨床互助ツール「ヒポクラ&マイナビ」を生かした遠隔診療、高齢化や過疎化が進む高知県の山村部の医療機関を対象に10台のタブレット端末を病院側に提供し、専門外の患者を診察する際に患部の画像や問診情報を都市部の専門医に送って助言を受けるというビジネスに取り組んでいます(本年6月に開催された日本プライマリ・ケア連合学会学術大会では、同社のCMIO=Chief Medical Informatic Officer=である竹村昌敏医師が「非皮膚科医と遠隔診療の皮膚科専門医との皮膚疾患対する認識の違い」という遠隔診療の本質に関わる調査を報告)。また、通院の移動時間や待合室での待ち時間を解消する遠隔診療のアプリを導入するクリニックも登場しました。
もちろん、こうした事業化や遠隔診療そのものに反対する声もあります。
大阪府保険医協会では遠隔診療を市場化するものであり、ビッグビジネスチャンスの拡大、成長戦略として位置づけることへの違和感を隠さず、事業化は医療を市場化するものであるとしているほか、遠隔診療に対しても医師と患者の対面診療の原則を覆すものであり、医療のプロである医師の行為が軽視されていると批判しています。現場の声を無視すれば医療崩壊につながりかねないと警鐘を鳴らし、「新しい技術が患者本位の医療に資するものであるかの判断は、市場原理ありきの不透明な手順ではなく、患者・国民の意見を十分尊重」すべきと訴えています(平成29年8月26日)。
■遠隔診療の現状と今後は?
現在、遠隔診療を実施している医療機関はどれくらいあるのでしょうか。
厚生労働省は遠隔診療を総括した概念として「遠隔医療」を用いていますが、それによるとテレパソロジーを導入している病院は226か所、一般診療所は808か所で、テレラジオロジーを活用している病院は1,335か所、一般診療所は1,798か所。テレケアは病院18か所、一般診療所544か所に及んでいます(平成26年「医療施設調査」)。
遠隔診療をめぐっては様々な議論がありますが、重要な医療情報を容易に入手できない医師にとってICTの活用は有益であり、それは現場での医療対応にもプラスとなります。また患者にとってもいろいろな面で負担軽減につながります。
すべての国民は平等に医療を受ける権利があります。遠隔診療はその機会を提供することで医療格差の解消をめざすものですが、その動きは今後本格化することになりそうです。
もちろん課題がないわけではありません。日本医師会は患者個人の権利、尊厳が損
なわれないこと、対面診療とは違い不十分な情報による対応になるので患者の安全確保のため、その利用は症例ごとに医師の責任で判断されるべき、と主張しています。
「情報通信機器を用いた診療に関する検討委員会」報告書(平成30年6月)。
しかし、すべての国民は平等に医療を受ける権利があります。その機会を提供し、医療格差の解消をめざすのが遠隔診療であり、その動きは今後本格化することになると思われます。