能の源流は、遠く奈良時代
時代の変遷の中に生き続ける「能」の心
梅若基徳
(観世流シテ方。梅基会主宰)重要無形文化財総合指定保持者
2008年11月、「能楽」は歌舞伎や人形浄瑠璃文楽とともに、正式にユネスコの無形文化 遺産に指定されました。伝統芸能「能」を中心に、さまざまな活動ができる拠点として、兵庫県西宮市鳴尾に『平林会館・西宮能楽堂』が、昨年12月10日完成披露公演(非公開)があり、2018年1月7日に本格的にOPENしました。古くから代々続く梅若家に生まれ、3歳で初舞台を踏み、ご自身の舞台活動以外に「能楽」のための活動を精力的に取り組まれている、この会館を管理する財団法人の代表でもある梅若基徳さんにお話をお聞きしました。
■御自身と能の関わりは。
幼少より「稽古」「舞台出演」が普通で、小さい時は何の疑問もなかったです。大人になりその難しさに何度も逃げ出したくもなりましたが、諸先輩達の舞台を観て、逆にその難しさが魅力になり、現在にいたります。好きな演目としてはいろんなジャンルをオールマイティにしておりますが、静かな曲も激しい曲もそれぞれ魅力があり限定するのはとても難しいです。
しかし、舞ってる回数が圧倒的に多い、「土蜘蛛」「船弁慶」「羽衣」「高砂」などは演じる度にその深さを知り、好きな曲目と言えるのかも知れません。
■西宮能楽堂設立についての経緯やご苦労なさったことは。
ここ「鳴尾」という地名は、能の『高砂』に登場する地名ということで、私たちにとっては願ってもない場所での会館設立でした。この西宮能楽堂は3階建てで、限られた敷地を精一杯有効活用しています。能楽堂は 揚幕から本舞台までの橋掛かりこそ若干短いものの、伝統的な三間四方の舞台形式で造られていて客席は桟敷席も含めて約100席。能楽堂には珍しく、外の光を取り入れる高窓もあり、言葉をわかりやすく表現するために使うプロジェクターも完備しています。正面の羽目板(鏡板)は老松につぼみのある梅の枝が描かれていますが、その梅を咲かせるのは演者と観客という考えからです。
※会館管理:一般財団法人日本伝統芸術文化財団(代表 梅若基徳)
■梅若家の歴史、能の歴史等について
能の起源は、千数百年以上もの昔、奈良時代の日本に、遠くアジアの西域からシルクロードを経て伝来した、散楽(さんがく)という芸能にさかのぼります。大寺院の法会の際の魔除けや招福の芸能をも担うようになり、これが〈翁〉の基となりました。この芸は、神聖な演技として非常に重視されました。能が大きな発展を遂げたのは、南北朝から室町時代の頃です。時を経て、織田信長や豊臣秀吉に愛好され保護されました。明治維新で庇護者を失い、苦境に立たされましたが、厳しい稽古を積んで高い芸位に達した能楽師たちが登場し、能の芸質という意味ではむしろ高まったといえましょう。
梅若家は橘諸兄(奈良時代の貴族)を始祖とする非常に古い家柄です。
■守破離とは、どういうことなのでしょうか?
守破離(しゅはり)は、日本での芸術、茶道、武道、等における師弟関係のあり方の一つです。日本において文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもあります。まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まります。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができるのです。客観的に自分を見ることができるようになるということなのです。しかし能の「型」は、手をあげる動作歩数う迄決められた厳しいもので、決して自由に「型」を自分なりに創作して演じてはなりません。決められた手のあげ方、足の出し方を考え抜いて解釈し、謡と動きの強弱や精神的な思いを凝縮させて「型」を作り上げていきます。
■能面等についてお聞かせください。
能楽の特徴の一つが能面で、シテ方だけが付けます。能面と衣裳、冠等を合わせるとすごい重量です。能面の基本形だけで約60種類はあります。女性の面の種類は、10種類以上あります。その中で、若女(わかおんな)の面は、瞳の穴は小さく(5mm)、前を見て控えめにすり足でしか歩けず、その所作が若い女性を表現します。また、鬼の面である般若(人の名前)は、怒っているように思われているかもしれませんが、実は「下り眉」となっており、悲しみを秘めているのだとわかります。女性の怒りは悲しみからきているという事です。瞳の穴が大きく(1cm)、口も大きく、面を付けたとき足元が見えやすく、大きな所作で動くことが可能になるので、感情をより豊かに表現することができます。演じるのは自分自身ですが、能面の魅力を演技としてどう出せるかいつも悩んでおります。
■扇のことなどは。
能楽師に欠かすことのできない道具です。 仕舞(しまい)のときや、地謡、囃子方、後見などが持つ鎮扇(しずめおうぎ)というものと、シテ方が持つ中啓(ちゅうけい)というものの、2種類があります。 能で扱う扇は、日常のものよりも大きく作られています。 鎮扇は、通常の扇と同様に、薄く、細く、閉じることができますが、中啓は、閉じた状態でも、先が膨らんで、広がっています。この状態を「末広(すえひろ)」といいます。扇にもいろいろな種類が演目によります。
「勝修羅扇」
太陽の中には「雲」があり、上を向いている朝日を表し、キャンバスに収まらない飛び出る勢いの朝日と、能舞台の鏡板同じ意味で、神の宿る「松」が描かれておりす。
「負修羅扇」
同じ太陽が描かれてありますが、こちらの太陽の中には「貝」が描かれ、仏教哲学から西の果の「極楽浄土」へ沈み、キャンバスに収まり行く夕日です。
■子供達にも、能を教えてらっしゃるそうですが?
「子供能楽教室」というのをやっております。1月7日、西宮能楽堂お披露目の時もそれに先立って、冬休みを利用して企画されていた全8回「子供能楽教室」の発表会を行いました。17名の子供達が、老松、玄象、小袖曽我、春栄、国栖、竹生島などを熱演しました。子供たちには、謡や仕舞だけではなく、能を通して人間としての礼節も伝えたつもりです。一人一人が感じ取ったことを発表してくれたでのではないかと思っています。瞬く間にグローバル化が進む日本。2年後には東京5輪もあり、益々世界の方々とのつながりも増えると思います。歴史のある世界に誇れる日本ですが、音楽の授業でも日本古来の楽器、堤や太鼓、笛、三味線などを一度も触れることもなく、プラスチック製のカスタネットやハーモニカ、アルトリコーダーなど安易な楽器で音楽を習う日本。音楽だけでなく、これからは先ず自国の文化や風習を知り、その後に他国の文化を知るようなシステムが必要であり、自国の文化を世界の方にも紹介出来るくらいのバイタリティーが必要だと思います。世界中で自国の楽器を触ったことなく、学校教育を終える民族は稀で、とても恥ずかしい事だと思い、これからの子供たちに、日本の伝統文化をもっと身近に感じて欲しいと思います。
■能楽でこれからやっていきたいことをお話しください。
他芸能とのコラボや、ワークショップなどを通して、より多くの人に能を広めたいと思っています。もちろん海外公演などを観てもらって、海外の方にも知ってほしいです。この西宮能楽堂を建てたのも、能を含めた日本の伝統芸能が身近に経験できるように、との思いからです。こうしてこの能楽堂をみなさんに開放することで、能が次世代に受け継がれていかれるようにと思います。皆さんと一緒にそうしていければと望んでいます。
【梅若 基徳 師 略歴】
室町時代より続く能の名門、梅若家に生まれる。3歳の時より舞台に上がり、父・基宜氏の指導のもと、子方(子役)として活躍。父の没後、梅若吉之丞に師事して、現在まで関西を中心に全国各地で数々の公演をこなす。また、海外公演にも多数参加し、日本の伝統芸能、能楽の普及、振興に尽力している。自身の研鑽および新たな観客層の開拓を意図した演能会「能を観る」を主催する他、2003年より毎年、文化庁委嘱の「阪神こども舞囃子教室」講師や「日本の音」(能楽、雅楽、邦楽、文楽を子供たちに体験させる)の講師も務める。観世流シテ方。梅基会主宰。重要無形文化財総合指定保持者
西宮能楽堂
〒663-8184 兵庫県西宮市鳴尾町3丁目6-20
TEL 0798-48-5570