~大阪医科大学 創立90周年~
その先を見据えた
「進化」と「深化」
1927年(昭和2年)、日本初の5年制医育機関(大阪高等医学専門学校)として誕生した「大阪医科大学」は、2017年6月に創立90
周年を迎えました。これまで数多くの医療人を輩出し、地域に根差した医・薬・看の連携を進めるとともに、西日本初となる「大阪医科大学BNCT共同臨床研究所・関西BNCT(ホウ素中性子捕捉療法)共同医療センター」の建設にも着手。医療界の注目を集めています。建学の精神である“国際的視野を持つ人間性豊かな良質の医療人の育成”を着実に実践し、今後、医療系総合大学・学園としてさらに飛躍するためのさまざまな施策について、学校法人大阪医科薬科大学の植木理事長と佐野常務理事(歴史資料館館長)に伺いました。
▲1936年頃のヴォーリズ設計の学舎群
学校法人 大阪医科薬科大学
植木 實 理事長(左)
佐野 浩一 常務理事(右)
開設以来9,400余名の医師、
4,000余名の看護師を輩出
▲2018年3月竣工予定のBNCT共同臨床研究所・
関西BNCT共同医療センター(仮称)完成予想図
―――これまで約9,400名もの医師を輩出された実績は素晴らしいですね。大阪医科大学の前身となる大阪高等医学専門学校の設立時は、どのようなご苦労があったのでしょうか?
植木 設立当時、国内は医師不足が深刻な問題でした。富国強兵でもありましたから、軍医に加え、アジアや南米等への移民団に同行する医師も必要になるなど、国内外を通じて医師の育成が急務となり、その結果、従来よりも短期の養成で医師を増やす状況が生まれていました。
しかし一方で、「もっとしっかりとした医学教育を施し、優秀な若い医師を育てなくては」という医育統一論が盛り上がり、国の補助や企業からの寄付などで、教育環境はその後急展開で改善されていきました。旧制医大では3年・4年制が主流でしたが、あえて教育の充実を図るため、本学は日本初の5年制の導入に踏み切り、財団法人大阪高等医学専門学校としてスタートしました。
―――それから2年後の1929年、早い時点で附属看護婦学校も設立されていますね?
佐野 はい。治療と看護は切り離せない両輪ですからね。看護師は男女併せて、設立以来約4,000名を医療界に送り出しています。医師や看護師を目指す学生は使命感を持って、自らの知識と技術を高めていきました。1930年(昭和5年)には附属病院を設置、医学の最高学府を目指すことを誓いました。大阪高等医学専門学校の設立者である吉津 渡は、「医育機関の使命は医学教育と医学研究であり、またその研究は実地の医療に活かすことで完成する」と唱え、卒業生が医療人として『救世仁術』の域に達することを念じていました。この吉津の目指す「救世」を、人格として最高の表現とされる誠実性(integrity)に通じるものとして「至誠」に置き換え、『至誠仁術』を本学の学是としています。
地域の要請に応えながら、
次世代の教育環境を整備
―――終戦後の大学教育制度改革には対応できましたか?
植木 戦前の帝国大学や大学令に基づく大学以外に、高等学校や高等専門学校、医学専門学校などが一斉に新制大学に移行した結果、一時期、条件が未整備の大学が多かったですが、本学は事前準備ができていたので問題なく対応できています。終戦の翌年には旧制大学令による4年制大阪医科大学の設置が認可され、さらに本科に進む準備段階としての予科(3年制)を設け、ハイレベルな医学教育を目指していきました。そうした大学運営を経て1952年、新制度の大阪医科大学設置に至っています。
―――高槻中学校・高等学校との法人合併はどのような経緯から?
佐野 高槻には旧制中学校がなかったので、当時の大阪高等医学専門学校理事長が有志の方々とともに住民からの要請を受ける形で、1940年に高槻中学校を設立。その後、学校改革で高槻中学校、高槻高等学校となり、経営基盤の磐石化のため2014年に大阪医科大学との法人合併に至りました。一般的にはあまり知られていませんが、将来有望な理系・文系の人材を育てるという教育機関としての使命と責任から、創立以来、本学関係者が理事会に参加するなどして積極的に関与していました。また、大阪医科大学では理工学部の新設構想に伴う教員養成実習校としての活用具体案など、さまざまなアイデアが継続的に検討されてきました。
つまり、振り返ってみれば、国が推進する「高大接続システム改革」(高等学校教育、大学教育、大学入試の三位一体の改革。新時代に対応できる人材育成のための教育システムの確立)の実践に、結果的に着手していたことになります。現在の具体的な取り組みとしては、高槻高等学校の医学部進学希望者を対象に、高大連携授業として大阪医科大学での「基礎医学講座」を開講。臨床実習への参加も正式なカリキュラムとしています。さらには大阪薬科大学との高大連携授業も行っています。文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクール※1、スーパーグローバルハイスクール※2にも選ばれたことから、理系・文系を問わず、生徒が主体性を持って探求型学習に注力できる環境を整えています。また、国が提唱、推進する男女共同参画社会の実現に寄与するため、今年度(平成29年度)から男女共学化しました。さらに今後は、英会話を含めた教育内容の強化にも取り組んでいきます。
※1 2014年から5年間指定 ※2 2016年から5年間指定
「医・薬・看」「産・官・学」の連携で、
最先端医療を実現する「複合大学」へ
―――キャンパスを広げ、附設医療施設の整備に力を入れておられますね?
植木 伝統を継承しつつ、最先端のイノベーションを実現しながら、地域社会のニーズに応えられる医療系総合大学としてのあるべき姿を追求しています。1968年には京都大学化学研究所の土地建物と等価交換し、その後も周辺の土地を公益目的で取得を進め、キャンパスの広さが2倍になりました。学内には大阪医科大学病院、訪問看護ステーション、LDセンター、新講義実習棟、看護学部研究棟等を有するに至り、現在は次世代がん治療施設として「大阪医科大学BNCT共同臨床研究所・関西BNCT共同医療センター(仮称)」の建設に着手しています。学外には予防医学を実践する健康科学クリニック、さらには第二病院となる三島南病院などを設置し、救急・急性期医療からリハビリ及び回復期・療養医療などと在宅とをつなぐ医療を進めており、団塊の世代が75歳を迎える2025年以降の医療を支えるべく、大学病院の医療を盤石化していきます。
―――「関西BNCT共同医療センター(仮称)」とは、どんな施設ですか?
植木 日本の医療界が注目するがん最先端治療の新拠点です。産・官・学、多くの研究者や医師、スタッフが参画する共同利用型施設として運営されます。大学病院に附設する形では世界初の施設です。一般社団法人関西BNCT共同医療センター(KBMC)が関係研究機関、医療機関とのネットワークのもと、施設の運営を指導・支援していきます。開設予定は2018年、診療開始は2019年の予定です。設置の背景としては、がんが長く国民の死因トップに位置付けられていることがあります。これまでも発見・診断・治療・ケアの各段階で多くの技術開発や臨床応用が行われ、経年生存率は向上したものの、やはり死亡率も高く、治療では重篤な副作用も生じています。患者様のQOLを維持しながら、身体的負担が少なく、通院治療も可能ながん治療が今後は急務なのです。
佐野 BNCT(Boron Neutron Capture Therapy)とは「ホウ素中性子捕捉療法」の略称です。元々この分野は米国が臨床研究を進め、中断したものを、日本が改発して「世界初のBNCT用加速器」を開発した経緯があります。BNCTでは日本が世界をけん引しているのです。治療のプロセスとしては、がん細胞にホウ素を取り込ませて外部から中性子を照射する→ホウ素と中性子が核反応する→ヘリウム核とリチウム核が発生してがん細胞を選択的に破壊する、という現象が起こるので、正常な細胞にはほぼ損傷を与えません。そのため、患者様側に副作用がほとんどないという大きなメリットがあります。初発・単発のがんだけでなく、臓器全体に広がったがんや、転移性・難治性がんへの効果も期待できます。また、治療期間が短くて済み、また通常の放射線治療との併用も可能であり、再発がん治療でも大いに期待されています。現在の治験では、脳腫瘍と頭頸部がん、皮膚がんなどに高い有効性が認められ、今後も対象疾患はさらに拡大していくでしょう。
―――大阪薬科大学との法人合併は、どのような理由からでしょうか?
植木 両大学の経営の一層の安定化を図るとともに、医療の開発に加えて、薬剤師育成には医師と共同で実習を行える医学部の環境が必要だと判断した結果です。この法人合併で本学は「医」「薬」「看」の学問・研究のサイクルが整ったことになります。総合大学として、各分野が重なり合う学際を意識した学びや研究を加速させ、チーム医療もさらに進化させていくつもりです。合併して1年なので、まだ目立った成果は出ていませんが、今後大きなメリットが生まれると考えています。最終的には両大学の統合が目標です。
学校法人では、未来の社会を担う優秀な医療人の育成と、先進的な医療体制の構築を目指し、教育・研究・医療を集約させたCenter of Communityとして、日本有数の医療系総合大学・学園へ飛躍させていきます。今後はさまざまな医療系技師(技士)や事務職の人材育成も考えています。90周年から次の創立100周年に向けて、世界に誇れる医療分野に特化した総合大学として、社会的責任を果たしていきます。
▶ヴォーリズ設計の講堂(国登録有形文化財 旧別館)
大阪医科大学歴史資料館
◀本法人の設立に携わった人々の胸像前にて
略歴 植木 實理事長
大阪医科大学卒業後、同大学院修了(医学博士)。同大助手、助教授を経て平成7年に教授。専門は産婦人科学。大阪医科大学附属病院長、大阪医科大学学長、学校法人大阪医科大学理事長を経て、平成28年から学校法人大阪医科薬科大学 理事長に。
略歴 佐野 浩一常務理事
大阪医科大学卒業後、同大学院修了(医学博士)。同大助手、助教授を経て平成9年に教授。専門は微生物学。学校法人大阪医科大学理事、大阪医科大学附属看護専門学校校長、大阪医科大学歴史資料館館長、学校法人大阪医科大学常務理事を経て、平成28年から学校法人大阪医科薬科大学常務理事に。